カンポンはマレー系の民族の村落共同体です。カンポンの人々の連帯意識はとても強く、血のつながりがなくても、何かにつけ助け合います。このような場所なので、逆によそ者が侵入すると警戒されるような気がします。
市街地を離れて少し郊外へ出るとカンポンが点在しています。
カンポンは川に沿って在ることが多いようです。
(生活の利便性やイスラム教の礼拝前に体を清めるのに川の水を用います。)
カンポンには比較的大きな庭を持つ高床式の住居がポツンポツンと建っています。高床式の家は、通気性が良い、獣や害虫の侵入を防ぐ、スコールによる洪水をしのぐことができる等、熱帯の暮らしに適したスタイルです。どの住居も木造、トタン屋根の質素な家ですが、家の周りや庭はとても広くすっきりしていて綺麗です。
カンポンの中心には必ずカンポン・モスク(村のイスラム教寺院)が建てられています。
集会所、公民館、葬儀所などの役割も兼ねているようです。
マレーシアの近代化は、このようなカンポンに住む貧乏なマレー系の人々が、都会に住む金持ちの中国系の人々と協力しながら、企業のホワイトカラー層を形成していくということのようですが、カンポンのゆったりとした暮らしぶりを見ていると、近代化が必ずしも幸せとは感じられません。
カンポンの家庭には子供が4~5人いるのが普通で、都会の家庭の2倍ほどです。子供が多いカンポンの人々の方が豊かで幸福なんじゃないかと思うことがあります。のどかで、人間味あふれるカンポンがいつまでも生き続けることを願いたいものです。
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