08 June 2013

マレーシアのイスラム

東南アジアのムスリム人口

現在、東南アジアのムスリム(イスラム教徒)の人口は2億3362万人です。これは東南アジアの総人口の39.4%に相当します。特に島嶼部東南アジアのインドネシア、マレーシア、ブルネイでは住民の大多数がムスリムであり、イスラム教が国教的地位を占めています。このほか、フィリピン南部、タイ南部、ミャンマー、シンガポール、カンボジアにもかなりのムスリムが居住しています。

東南アジアの国別ムスリム人口
人口 イスラム教徒 割合 %
インドネシア 240,271,522 206,873,780 86.1
マレーシア 25,715,819 15,532,355 60.4
フィリピン 97,976,603 4,898,830 5.0
タイ 65,905,410 3,031,649 4.6
ミャンマー 48,137,741 1,925,510 4.0
シンガポール 4,657,542 693,974 14.9
カンボジア 14,494,293 304,380 2.1
ブルネイ 388,190 260,057 67.0
ベトナム 86,967,524 86,968 0.1
東ティモール 1,131,612 11,316 1.0
ラオス 6,834,942 - -

合計 592,481,198 233,618,849 39.4


東南アジアのイスラム化とマレー人

アラブ人のムスリムは、7世紀末頃から東南アジアに来航していました。しかし、東南アジアのイスラム化は13世紀末にスマトラ北東岸地域で始まったようです。マレーシアのトレンガヌ州で発見された14世紀初めの碑文(トレンガヌ碑文)には、住民に対するイスラム法の布告文が記されています。このことから、マレー半島東海岸地域は、比較的早い時期にイスラム化したことがわかります。ただし、東南アジアのイスラム化をリードしたのは、スマトラ東岸やマレー半島西海岸に形成されたマラッカ海峡諸国でした。

イスラム拡大の中心地として特に重要なのは、マラッカ(ムラカ)王国(1400頃~1511)です。というのは、マラッカ王国の影響力の増大に比例して、マレー(ムラユ)語が商業活動上の共通語となり、イスラムはこの言語を介して拡大していったからです。その結果、18世紀頃までにイスラムとマレー文化(マレー語とマレー人の慣習)を共有する地域(いわゆる、マレー世界)が、東南アジア島嶼部に形成されました。

その後、スマトラやボルネオでは、非イスラム教徒がイスラムに改宗することを”マスッ・ムラユ”(masuk Melayu :「マレー人になる」の意)などと言いました。また、マレー語は第2次世界大戦後独立を達成したインドネシア、マレーシア、ブルネイの国語となり、それぞれインドネシア語、マレー語またはマレーシア語、マレー語と呼ばれています。このように、マレー人は東南アジアにおけるイスラム圏の形成と深いつながりを持っています。


イスラムの特別な地位

原則的には聖人と俗人を区分しないイスラムですが、現実にはイスラム圏でも宗教と世俗の領域の分離がある程度進みました。マレーシア地域では、イスラム化以降のマレー諸王国には、スルタンという称号を持ったマレー人支配者が政治的かつ宗教的中心として君臨していました。ところが、イギリス植民地期(1874年以降)には、イギリスが行政権などを掌握し、スルタンの権限はイスラムと慣習法(アダット)の領域に制限されました。マラヤ連邦独立以降は、イギリスが掌握していた行政権などの世俗の領域は、新たに編成された近代的行政機構に継承されました。

現在のマレーシアでは憲法により信教の自由が保障されていますが、同時にイスラムが国教と規定されています。つまり、マレーシアではイスラムに特別な地位が付与されているのです。たとえば、首都クアラ・ルンプールには国立モスクがあり、各州には州立モスクがあります。マレーシアの行政単位である州は、前近代期のマレー諸王国に起源するものが多く、スルタン制も存続しています。そうした州では伝統に従いスルタンがイスラムの首長となっています。スルタンの存在しない4州(ペナン、マラッカ、サバ、サラワク)では、スルタンの互選によって5年ごとに選出される国王がイスラムの首長となっています。そして、スルタンの下におかれた宗教評議会が、各州のイスラムの宗教行政を統括しています。

政党レベルでは、与党連合(国民戦線Barisan Nasional)の構成政党の中心をなすUMNO(統一マレー国民組織)が、多数のマレー系ムスリムの強い支持を得ています。しかし、イスラム色が鮮明なのは野党のPAS(Parti Islam Se-Malaysia)で、敬虔なマレー系ムスリムが多いマレー半島東海岸地方を中心に一定の勢力を形成しています。


イスラム・ファンダメンタリズム(イスラム復興主義)

1970年代以降、世界的にイスラム・ファンダメンタリズム(イスラム復興主義)運動が活発化し、マレーシアでもそうした運動が盛んになりました。すなわち、高等教育を受けた若い世代に支持され、都市を基盤に展開されたダッワ(Dakwah)運動です。この運動の本来の目的は他の宗教徒をイスラムへ改宗させることでした。しかし、実際にはムスリム自身の信仰の再活性化を中心に展開されました。マレー系ムスリムをおもな支持基盤としつつ近代化を推進していたマハティール政権は、イスラム・ファンダメンタリズム運動の活発化に対しても機敏に対応しました。すなわち、イスラム銀行や国際イスラム大学設立(1983)など一定の配慮を行なう一方、運動の過熱には充分な警戒を抱いていました。ダッワ運動の団体のひとつであったダルル・アルカム(Darul Arqam)の活動禁止(1994)はその事例です。


マレーシアのムスリム

マレー語が国語として定着した今日のマレーシアでは、非マレー系住民もマレー語を自在に話し、そのうえ、ムスリムと非ムスリムの人口比率にさほど大きな開きがないことも影響し、イスラムはマレー人のアイデンティティの拠り所として強調されている感があります。たとえば、トゥドゥン(ムスリム女性が頭髪を隠すために着用する頭巾)や膝下まで覆う衣服を着用する女性は、インドネシアよりも多いように見受けられます。

マレー人は例外なくムスリムであり、”宗教”を意味するマレー語のアガマ(agama)も通常はイスラムをさします。マレー人の集落には、必ずモスクまたはスラウ(surau 小さな礼拝所)があります。巡礼のための積立金制度も確立され、毎年多数のマレー人が巡礼に旅立ちます。巡礼を終えると、男性はハジ(Haji)、女性はハジャ(Hajah)の称号を得ます。白いハジ帽をかぶった彼らは他の人々から尊敬を受けます。

注意したいのは、非マレー系住民のなかにもかなりのムスリムが存在することです。例えば、一般にヒンドゥー教徒と思われがちなインド系住民ですが、インド系ムスリムも少なからず存在します。彼らの経営する飲食店は、”ママーショップ”(”ムハンマドやマフムードなどの名前を持つムスリムの飲食店”の意)と呼ばれています。マレー人が少数の東マレーシアでも、こうした非マレー系のムスリムがかなり見受けられます。カダザン・ドゥスン人などのサバ州の原住民のうちの1部やフィリピン人出稼ぎ労働者(ミンダナオ島などフィリピン南部出身のハジャウ人が多い)などです。


マレーシアの断食(プアサ)

イスラム暦の第9月の1ヵ月間行なわれます。断食の開始と終了は新月の観測によって決定され(そのため予定日より1日ほどずれることがある)、マスコミを通して発表されます。断食期間の日中、健康な成人は飲食そのほかの欲望を断たなければなりません。(ただし、妊婦、旅行者などは例外です)。

マレー人などムスリムの経営する飲食店は日中閉店します。断食をしない者は警官に逮捕され、相応の刑罰に処せられます。ただし、日没後から日の出前の間は飲食可能です。日没後の飲食可能な時間の開始をブカ・プアサといい、その時刻は実際の太陽の運行によるため、西マレーシアと東マレーシアでは若干時刻が異なります。ブカ・プアサの頃になると、ムスリムの飲食店も開店し、ラマダン・バザールと言われるお惣菜やお菓子を売るお店が、道沿いやショッピングモールの中に普段より多く出現して、まるで祝祭のような賑わいをみせます。断食はムスリム間の同胞意識を高揚させるようで、断食期間中には、深夜まで飲食店で歓談を楽しむムスリムを普段以上に多く見かけます。

では、ラマダン期間中にイスラム教徒は日中ちゃんと断食をしているのかというとそうでもないです。マレーシアの日系企業に勤めていた頃、物陰でこっそりスイーツを食べる女性やトイレでタバコを吸う男性を何度か見掛けました。そんな時は、お互いニッコリ笑うだけです。他民族の文化に干渉しないことは多民族国家が成り立つのに重要なことです^^。


断食明けの大祭(ハリ・ラヤ・プアサ)

断食明けの大祭(ハリ・ラヤ・プアサ)は、季節感を感じることの少ないマレーシアのムスリムにとって、重要な意味を持ちます。学校や会社は3日間休日となり、各地に分散していた家族もそれぞれの故郷へ戻ります。ムスリムの家庭では家族の再会を喜びます。また、ご馳走やお菓子を用意したり晴れ着を作ります。さらに、オープンハウスという習慣があり、自分の家を開放し、親戚、知人、他人までも招いて食事を振舞いお祝いします。ハリ・ラヤ・カードという祝辞カードを送り合うのも習慣のひとつとなっています。華人のアンパオ(紅包)の影響でしょうか、子供に対してドゥイ・ラヤというお年玉が配られることもあります(封筒の色は緑です)。

この断食明けの大祭を”イスラム正月”ととらえるのは間違いです。ただし、雰囲気的には日本の正月にかなり近いといえます。マレーシアの日系企業はこの時期1週間ほど連休になり、駐在員は日本に一時帰国する人が多いです。