概説
イスラム教(正式名:イスラーム)は世界宗教のひとつで、全知全能にして唯一絶対の神アッラー(Allah;またはトゥハン
Tuhan)を信仰し、神が最後の預言者ムハンマド(マホメッド、モハメッドともいう)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、それに従う一神教です。偶像崇拝の禁止が徹底されていて、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があります。
イスラム教の起源
西暦610年頃のラマダン月に、預言者ムハンマドはメッカ郊外で天使ジブリールより唯一神アッラーの教えを啓示され、中近東のアラビア半島の砂漠地帯でイスラム教を始めました。ムハンマドは神アッラーの教えを後継者に口頭で伝えていきましたが、メッカで迫害されたため、622年にヤスリブ(後のマディーナ(メディナ))に逃れました(ヒジュラ)。
ムハンマドはその地でムスリム(イスラム教徒)のウンマ(イスラム共同体)を建設し、周辺のアラブ人たちを次第に支配下に収め、630年にメッカを占領しました。その翌々年にムハンマドはマディーナで死にましたが、後を継ぐウンマの指導者として預言者の代理人(カリフ)が定められました。
イスラム暦の起源(1年1月1日)は、西暦622年7月16日に当たります。預言者ムハンマドがメッカからヤスリブに聖還した日です。ヤスリブにウンマができたヒジュラの年を元年にしています。
ムスリムにとって、西暦はヨーロッパの人々が勝手に作った暦に過ぎず、イスラム暦の方が正統派です。しかし、現在では西暦が世界の標準暦になっているので、公式用やビジネス用には西暦、宗教的行事にはイスラム暦という具合に両方を併用しています。イスラム暦は月の運行をもとに作った太陰暦であり、1ヵ月は交互に29日と30日、1年は12ヵ月で1年は354日になります。太陽暦と比べて1年が11日短くなります。
イスラム教
イスラム教はアラビア語を母語とするアラブ人の間で生まれ、神がアラビア語をもって人類に下したとされるクルアーン(コーラン)を啓典とする宗教であり、教えの名称を含め、宗教上のほとんどの用語はアラビア語を起源としています。
イスラムの語源は、”自己委託、引き渡し、一切を相手に任せること”を意味するアラビア語で、宗教的には唯一絶対の神への”絶対的帰依”を意味します。通常、イスラム教徒をさすのに使用されるムスリムmuslimという語も、本来は”絶対的帰依者”を意味するアラビア語で、宗教的には”神に帰依すること”を意味します。
イスラムは、スンナ(スンニー)派とシーア派というふたつの宗派に大別されます。このうち、スンナ派がムスリムの90%を占める多数派で、正統派ともいわれています。スンナ派は聖典クルアーンと預言者ムハンマドの言行によって指示された慣行(スンナ)である「ハディース」とを信仰の基礎としています。このスンナ派はイスラム法解釈に関する方法論の相違によって、ハナフィー、マーリキー、シャーフィイー、ハンバリーの4法学派に分かれています。マレーシアなど東南アジアのイスラムは、スンナ派のシャーフィイー学派に属します。
イスラムにおいては偶像崇拝の禁止が徹底されており、それゆえ、ムスリムが礼拝をおこなうモスクには、他宗教の寺院や聖堂とは異なり、内部には聖像など偶像になる可能性があるあらゆるものがありません。絨毯やござが敷き詰められているだけの広い空間で、ムスリムはカアバがあるメッカの方角(キブラ)を向いて祈ります。モスクにはメッカの方角の壁にミフラーブと呼ばれるアーチ状のくぼみがあり、ムスリムはそれによってメッカの方向を知ります。
ムスリム間には、国籍、民族、言語を超えた同胞意識が存在し、アラビア語の挨拶用語で挨拶を交わします。「アッサラーム・アライクム」(”あなたの上に平和がありますように”という意)に対して、「ム・アライクム・サラーム」(”あなたにこそ平和がありますように”という意)という返答が交わされます。
また、聖典クルアーンには信徒間の平等が記されており、原則的に聖俗の区別は立てません。したがって、イスラム社会にはウラマーulamaというイスラム法学者はいても、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級を持ちません。つまり、神と信者とのより直接的交流が重視されているわけです。スーフィズムSufismはこの特徴を極限にまで推し進めたものと言えるでしょう。こうした同胞意識以下の諸特徴は、すべて一神教というイスラムの神観念から派生しています。
近代社会形成の過程で、宗教と世俗の領域との分離が全世界的に進展しましたが、イスラム社会ではそうした二分化方向への動きはあまり見られなかったようです。いずれにせよ、社会に対して強い統合作用を持つイスラムは、宗教の分野にとどまらず広く世俗の領域にかなりの影響力を保持しています。
今日、ムスリムは世界のいたるところでみられます。その人数は11億人あると推定されていて、キリスト教に次いで世界で2番目に多くの信者を持つ宗教です。ムスリムが居住する地域はほぼ世界中に広がっていますが、そのうち西アジア・北アフリカ・中央アジア・南アジア・東南アジアが最もムスリムの多い地域とされています。特にイスラム教圏の伝統的な中心である西アジア・中東諸国では国民の大多数がムスリムであり、中にはイスラム教を国教と定め他宗教の崇拝を禁じている国もあります。
クルアーン(コーラン)
全てのムスリムがイスラム教の教典(聖典)として認め従うのは、アラビア語で”朗唱されるもの”という意味をもつクルアーン(コーラン)唯一つです。
ムハンマドより前から、神は様々な共同体に預言者を遣わして啓典を下してきました。しかし、それらの中でもクルアーンは、神アッラーが人類に啓典を伝えるために選んだ最後にして最高の預言者ムハンマドに対し、最も明瞭な言語であるアラビア語を用いてウンマ(ムスリムの共同体)に遣わした最も真正な啓典(キターブ)であり、ムスリムにとっては神の言葉そのものとして社会生活のすべてを律する最も重要な行動の指針となります。(クルアーンは予言者ムハンマドが語った内容を3代目後継者ウスマーンがアラビア語で書きしたためて1冊の書にしたものです。)
クルアーンは全人類のために下された啓典と言われており、現実にイスラーム教徒は民族を超えて世界中に存在していることから、イスラムは普遍宗教であるというのが通説となっています。ただし、イスラム教文化とアラブ文化を混同する傾向は、イスラムが普遍宗教となって以降もアラブ人ムスリムを中心に残っています。
クルアーンには神アッラーの教え、言い換えれば「信者がしてはいけないこと」「信者がすべきこと」が114章にわたり書かれていて、ムスリムはクルアーンに従って生活を営みます。してはいけないことは、偶像崇拝、飲酒、食豚、不倫、婚前交渉、強姦、盗み、殺人など。すべきことは、1日5回の聖地メッカに向けての礼拝、1年に1ヵ月のラマダン(断食)、一生に最低1回の聖地メッカへの巡礼などです。
このような厳しい教えは、イスラム教が砂漠地帯で生まれたことと密接な関係があり、自然条件が過酷な地では、掟を作って皆をそれに従わせなければ命取りになるためと考えられます。
基本教義:6信5行
イスラムの基本的な教義は、6信5行と呼ばれています。信(イーマーン Iman)とは内面な信仰内容をさし、行(イバーダート
Ibadat)とはその外面的な表現としての義務的行為をさします。
6信とは、神(アッラー)、天使(マラーイカ)、啓典(クトゥブ)、使徒(ルスル)、来世(アーヒラ)、定命(カダル)の6つに対する信仰です。イスラムの世界観は、仏教の輪廻思想に基づいた円環的な世界観とは異なり直線的です。アッラーによる創造から終末へ向かって時間は一方向へ進むと了解されています。
神:ムスリムはアッラーが唯一の神であることを固く信じる。
啓典:聖典クルアーン。
使徒:神の招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる。
来世:死とは最後の審判までの束の間の休息であり、終末の日にアッラーが現世の行為に対して最後の審判を下し、その結果天国または地獄行きという来世が決定される。
定命:人間の運命は創造主アッラーによってあらかじめ定められていることをいう。それゆえ、良し悪しに関わらず運命を感謝しつつ受容するよう説かれる。
5行とは、信仰告白(シャハーダ)、礼拝(サラー)、喜捨(ザカート)、断食(サウム)、巡礼(ハッジ)の5つの実践すべき義務的行為をさします。
信仰告白:イスラム教に入信しムスリムになろうとする者は、証人の前で「ラー・イラハ・イッラッ・ラーフ・ムハンマドゥル・ラスールッ・ラー」(アッラーのほかに神はなし、ムハンマドは神の使徒なり)という文句を唱える。ムスリムは日常生活においても機会あるごとにこれを唱えるべきとされている。
礼拝:1日5回の礼拝(日の出前、日の出後、正午、日没前、日没後)と金曜日のモスクにおける集団礼拝をいう。礼拝は水で手足を清めた後、メッカのカアバ神殿の方向を向いて行なわれる。礼拝時刻になると、モスクからアザーン(礼拝を呼びかける声)が鳴り響く。礼拝時刻は新聞にも掲載され、礼拝の方向を示すキブラはホテルなどの宿泊施設の天井などに張られている。礼拝する場所は自宅でもモスクでも外出先の礼拝室でもよい。しかし、忙しい現代社会で1日5回の礼拝を励行するのは難しい。そのあたり、マレーシアのイスラム教は穏健派で融通が利くスンニ派ということもあり、忙しい人は1日2回でもいいし、それもできないのなら、金曜日のモスクでの集団礼拝で1週間分をまとめて祈ってもいい・・・ということになっているようです。ちなみに、私が勤めていたマレーシアの会社では、礼拝時間のたびに従業員がモスクに行ったり自宅に帰ったりされては困るので、社内に「スラウ」と呼ばれる男女別の礼拝室を用意していました。礼拝室といっても、イスラム教は偶像崇拝を禁止しているのでただの小部屋です。ただし、天井には聖地メッカの方向を示す矢印「キブラ」が付けてあります。
喜捨:収入の2.5%を宗教税として支払うこと。
断食(ラマダーンまたはラマダン、マレー語ではプアサpuasa):イスラム暦の第9月の1ヵ月間、黎明から日没までの間、飲食、嗜好品やほかの欲望を一切断ち、もっぱらアッラーを念じることである。イスラム暦は太陽暦より1年が11日短いので、ラマダンの時期は毎年ずれる。ラマダン月の開始と終了は新月の確認によって行われ、雲などで新月が確認できなかった場合は1日ずれることもあるようです。断食といっても1ヶ月間完全に絶食するわけではなく、日の出から日没までの間は飲食できませんが、それ以外の時間帯は普通に食べたり飲んだりできます。また、旅行者や重労働者、妊婦・産婦・病人などは昼間の断食を免除されます。
巡礼:一生に一度のメッカへの巡礼をさす。1年のうちの決まった日に、イスラム教の聖地であるサウジアラビアのメッカですべての巡礼者が定まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼を体験する。巡礼はすべてのムスリムに課された義務ではなく、体力と資力のある者だけが実行すればよいとされている。
このような行為を集団で一体的に行うことにより、ムスリム同士はお互いの紐帯を認識し、ムスリムの共同体の一体感を高めています。
イスラム法
ムスリムの生活は、イスラム法によって細かく規定されています。言い換えれば、ムスリムはこのイスラム法(シャリーア)に従って生活する人々です。イスラム法の規定中には、割礼、飲酒の禁止、豚肉の禁止、葬礼の方法、婚姻の規定(一夫四妻の許容、イスラム法官による司婚、非一神教徒との婚姻禁止など)、利子取得の禁止などがあります。そのほか、第3者のいないところで未婚のカップルが接近することも禁じられており、警官に見つかれば逮捕されます。また、頭髪は不浄とされ、すねから上の部分などを露出するのは非礼とみなされています。なお、豚以外に犬も不浄の動物とみなされています。
豚以外の動物であっても、しかるべき方法で屠殺したのでなければ、ムスリムは食してはなりません。肉類をはじめとする食料品にハラール(halal)という表示が付されていることがありますが、これはムスリムの食することのできる食料品であることを示す表示です。
イスラムの祝祭
主な祝祭(イスラム暦表示)
1月10日 贖罪の日(アシュラ)
3月12日 ムハンマド降誕祭(マウルート)
7月27日 昇天祭(ミラージ)
10月1日 断食明けの大祭(ハリ・ラヤ・プアサ)
12月10日 巡礼大祭(ハリ・ラヤ・ハジ)
同月10日~13日 犠牲祭(ハリ・ラヤ・コルバン)
このうち、断食明けの大祭(ハリ・ラヤ・プアサ)と巡礼大祭(ハリ・ラヤ・ハジ)はムスリムの2大祭です。こうした祝祭日は、イスラム暦によって定められているので、太陽暦とは毎年少しずつずれていきます。
08 June 2013
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