マレーシアの歴史年表 | ||
前5000~3000 | 東南アジア島嶼部でオーストロネシア語化が進行。 | |
前1世紀 | 南インドと中国の間に海上交易が始まる。 | |
1世紀頃 | モンスーンを利用した航海術が発達し、アジアの海上交易が活発化する。 | |
4~5世紀 | 東南アジアの”インド化”(インド文化の受容)が進展。 | |
6世紀 | ボルネオ北西部の王族(勃泥、文菜など名称はさまざま)が中国へ朝貢を開始。 | |
7世紀頃 | マラッカ海峡経由ルートがアジアの海上交易の主要ルートになる。 | |
670頃 | スマトラ南部にシュリーヴィジャヤ王国が成立。 | |
13世紀 | アラブ商人やインド商人と共にイスラム教が伝来し、仏教とヒンドゥー教の時代が終わる。 | |
14世紀末 | ジャワのマジャパイト王国がパレンバンを占領。パレンバンの王族パラメスワラがマラッカ(ムラカ)王国を創始する。 | |
1400 | マラッカ王国成立。 | |
1405 | 中国明朝の鄭和の南海遠征(以後、1433まで7回) | |
1408 | マラッカ王国の独立を当時の明が承認。 | |
1445頃 | ムラカ王国のイスラーム化が完了。以後、ムラカは東南アジアにおける海上交易およびイスラームの中心地となる。 | |
1470年代末 | ブルネイのイスラム化。 | |
1511 | ポルトガルがムラカ占領。その後、ブルネイが東南アジア有数の海上交易の中心地に発展。 | |
1519 | マゼラン艦隊がブルネイに寄航する。 | |
1528頃 | ムラカ王家の子孫がジョホール王国、ペラ王国をそれぞれ創始する。 | |
16世紀中頃~ 17世紀中頃 |
スマトラ北部のアチェ、ポルトガル(マラッカ)とジョホールがマラッカ海峡の覇権をめぐって抗争を展開。 | |
1641 | ジョホールと連合したオランダが、ポルトガル領マラッカを占領。 | |
1542 | マラッカからポルトガルの鉄砲が日本に伝来した。(鉄砲伝来) | |
1549 | イエズス会のフランシスコ・ザビエルがマラッカを出発し、日本到着。 | |
17世紀後半 | スマトラのミナンカバウ人によるマレー半島への移住が活発化。南スラウェシでブギス人の流出が始まり、その一部がマレー半島西岸のスランゴールなどに定住。 | |
1699 | ジョホールでスルタン・マフムード弑逆事件が発生。 | |
1718 | スマトラのシアクのミナンカバウ人ラジャ・クチルがジョホールを占領。 | |
1722 | ブギス人ダエン・ムレワがジョホールからラジャ・クチルを撃退する。 ジョホールの王族スレイマンがジョホール・リアウ王国を創始する。 ダエン・ムレワが同王国の初代ブギス人副王に就任する。 ザイナル・アビディン(スレイマンの弟)がトレンガヌ王国を創始する。 |
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1766 | ジョホール・リアウのブギス副王家のラジャ・ルムがスランゴール王国を創始。 | |
1773 | ミナンカバウ王族ラジャ・ムレワがヌグリ・スンビラン王国を創始する。 | |
1775 | ロン・ユヌスがクランタン王国を創始する。 | |
1777 | 隣国シャム (現在のタイ) のソンクラー国主に福建省?州府海澄県出身の華僑・呉譲が就任。以後、ソンクラー国を拠点としてシャム軍がパタニ王国、クダ王国への侵略の動きを見せ始める。 | |
1786 | シャムの攻撃を恐れたクダ王国は、非常時におけるイギリスによる兵力援助の約束と引き換えに、イギリス東インド会社にペナン島を賃貸した。イギリス東インド会社は、中国やインドからの移民増加政策を行った。 | |
1791 | 5月1日、シャムが隣国のパタニ王国 (現在のタイ深南部三県) まで攻めて来たため、クダ王国はイギリスに派兵を要求したが断わられた。クダ王国は10,000人からなる大軍によるペナン島回復戦を計画したが、ペナンを取り返すどころか対岸の拠点セベラン・ペライを奪われ、ペナンを正式にイギリスに明け渡した。 | |
1795 | イギリスがマラッカを占領する。 | |
1805 | トーマス・ラッフルズがペナンに派遣され、ペナンで積んだ経験が後のシンガポール建設の参考となった。 | |
1819 | トーマス・ラッフルズがシンガポールの地政学上の重要性に着目、ジョホール王国の内紛に乗じてイギリスがシンガポールを獲得した。 | |
1821 | クダ王国はシャムに征服され、統治された。 | |
1824 | イギリス・オランダ両国にて、マレー半島 (マラッカ海峡) を中心とする地区の勢力範囲を定めた英蘭協約を締結。イギリスはスマトラ島西海岸のベンクーレンとオランダのマラッカを交換し、ペナン・シンガポール・マラッカのマレー半島に英領植民地を得る。ジョホール・リアウ王国はジョホール王国とリアウ・リンガ王国に分裂、ブンダハラ・アリは事実上パハンの支配者となる。 | |
1826 | イギリスとシャムがバーニー条約を締結し、イギリス領マラッカ海峡植民地成立。マラッカ、ペナンが自由港となる。 | |
1832 | ペナン、マラッカ、シンガポールからなる”海峡植民地”の形成。 | |
1833 | インド人契約労働者の移住開始。 | |
1836 | サラワクでパンゲラン・ウソップの反乱が発生。フランシス・ライトの息子でペナン出身のウィリアム・ライトが南オーストラリアのアデレード建設を開始。 | |
1840 | ジェームズ・ブレマー率いる英国極東艦隊が海峡植民地シンガポールから阿片戦争へ出撃。ジェームズ・ブルックがサラワクの反乱の鎮圧に協力。 | |
1841 | サラワク王国がブルネイから独立。ジェームス・ブルックがサラワク王国(白人王国)を創始する。 | |
1842 | プルリス王国がクダ王国より分離独立。 | |
1843 | ジェームス・ブルックがサラワク各地のイバン族制圧を開始(~1849) | |
1846 | ブルネイのラブアン島をイギリスへ割譲。 | |
1848 | ペラのラルートでスズ鉱山の開発が始まる。 | |
1853 | イギリス東インド会社の解散。海峡植民地はインド省の直轄となる。 | |
1855 | イギリスとシャムが通商貿易に関するボーリング条約 (不平等条約) を締結。 | |
1858 | パハンの王位継承紛争(~1863) | |
1861 | ラルートで中国人秘密結社間の抗争が発生。 | |
1867 | ペラおよびスランゴールで内乱発生。 | |
1874 | イギリスがペラとパンコール条約を締結。以後、イギリスはマレー半島地域に対して積極的な介入政策を展開。イギリス領マラヤ成立。 | |
1875 | ペラのイギリス人駐在官バーチが暗殺される。 | |
1881 | 北ボルネオ特許会社の設立。 | |
1882 | ブンダハラ・ワン・アフマッドがパハン王国を創始する。阿片戦争で有名なランスロット・デントのデント商会のデント兄弟がイギリス北ボルネオ会社による北ボルネオ (スールー王国とブルネイ王国) の統治を開始。 | |
1885 | ジョホールのマハラジャ・アブー・バカルがスルタンに即位。イギリス、ドイツ、スペイン間の協定により、スールー諸島はスペイン領、北ボルネオはイギリスの勢力圏となる。 | |
1888 | ブルネイ、北ボルネオ、サラワクがイギリスの保護国となる。 | |
1891 | パハンで反英反乱が発生(~1895)。イギリスとオランダがボルネオにおける国境を確定。 | |
1895 | 北ボルネオでマット・サレーの反乱が起こる(~1903)。スランゴールにゴムのプランテーションが開かれる。 | |
1896 | マレー連合州の成立。 | |
1898 | マレー半島鉄道着工(~1909完成)。 | |
1905 | ペラのクアラ・カンサールにマレー・カレッジ開校。 | |
1906 | マレー語新聞「アル・イマーム」創刊。 | |
1909 | イギリス・シャム協定により、クダ、プルリス、クランタン、トレンガヌがイギリスの保護国となる。マレー連合州に連合参事会議を設置。 | |
1922 | ペラのタンジュン・マリムにスルタン・イドリース師範学校開校。 | |
1929 | ブルネイのセリアで油田開発が始まる。 | |
1938 | マレー青年同盟結成。 | |
1941 | 日本軍がコタ・バルへ上陸 (マレー作戦)。太平洋戦争の開戦。 | |
1942 | 日本軍が、イギリス領マラヤ、シンガポール、北ボルネオ、ブルネイ、サラワクのマラヤ全域を占領。(日本統治時代のマレーシア)。 | |
1945 | 日本の無条件降伏。イギリスが”マラヤ連合(Malayan Union)案”を発表。 | |
1946 | UMNO(統一マレー国民組織)、MIC(マラヤ・インド人会議)の結成。北ボルネオとサラワク王国がイギリスの直轄領となる。 | |
1948 | イギリス領マラヤとペナン、マラッカで構成されるマラヤ連邦(Federation of Malaya)の成立。マラヤ共産党の武装蜂起に対応して、非常事態宣言を布告。Malayan Emergency (1948年 - 1960年)。 | |
1949 | MCA(マラヤ華人協会)の結成。 | |
1954 | UMNO、MCA、MICの連合により、ALLIANCE(連盟党)が成立。 | |
1955 | 初の総選挙でALLIANCEが圧勝。 | |
1957 | マラヤ連邦 (初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン) 独立。 | |
1961 | ラーマン首相が”マレーシア構想”を発表。 | |
1962 | ブルネイでアザハリの反乱発生。フィリピンがサバの領有権を主張。 | |
1963 | シンガポール、イギリス保護国北ボルネオ(サバ)、イギリス領サラワクがマラヤ連邦と統合し、マレーシアが成立。インドネシア大統領スカルノが反マレーシアの対決姿勢を打ち出す - 1966年。 | |
1965 | シンガポールがマレーシアから分離独立。 | |
1967 | ASEAN(東南アジア諸国連合)の結成。 | |
1968 | 共産主義者の反乱 - 1989年。 | |
1969 | 5月10日、1969年総選挙実施。5月13日、マレーシア史上最悪の民族衝突であるマレー人と中国人の間の衝突がクアラ・ルンプールで発生。国会の停止。 | |
1970 | 9月、ラーマン首相辞任。第2代首相にアブドゥル・ラザク就任。”ルク・ヌガラ”(国家原則)を発表。 | |
1971 | ”敏感問題”に関する公開討論を禁止。”ブミ・プトラ政策”開始。ブルネイが完全自治権を獲得。 | |
1972 | 与党のALLIANCEが、GRM(マレーシア民政運動党)、PAS(イスラム党)とBARISAN NASIONAL(国民戦線)を結成。 | |
1973 | クアラ・ルンプールが連邦直轄区となる。 | |
1974 | クアラルンプールを連邦の首都に定める。田中首相訪問を機に、反日デモ発生。 | |
1975 | ラザク首相、急死。日本赤軍のクアラ・ルンプール日本大使館襲撃事件。 | |
1976 | フセイン・オン首相の就任。第3代首相に。 | |
1981 | マハティール首相就任 ( - 2003年)。ルック・イースト政策の発表。 | |
1983 | イスラム銀行、国際イスラム大学の設立。憲法改正により、国会の立法権に対する国王の権限を制限。 | |
1984 | ブルネイの独立。サバ州沖合のラブアン島が連邦直轄領になる。 | |
1985 | サバ州でPBS(サバ団結党)政権誕生。マレーシア初の国産車プロトン・サガの生産開始。 | |
1988 | UMNOが新UMNOとスマンガット46とに分裂。 | |
1989 | マラヤ共産党の武力闘争終結。 | |
1990 | クランタン州でPAS政権成立。EAEC(東アジア経済協議体、初めEAEG)構想発表。 | |
1991 | ”ワワサン2020”(ヴィジョン2020)の発表。UMNOがサバ州に進出。 | |
1993 | 憲法改正により、スルタンの免訴特権を廃止。 | |
1994 | ダルル・アルカムの活動を禁止。サバ州にBARISAN NASIONAL政権成立。 | |
1998 | アンワル・イブラヒム副首相の解任・逮捕。 | |
1999 | トレンガヌ州にもPAS政権成立。首相官邸がクアラルンプール郊外の新行政都市プトラジャヤに移転。首都機能が2010年までに移転される。 | |
2003 | アブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ首相就任。 | |
2009 | アブドラ首相は、二期目の任期4年を残し首相を退任。4月にマレーシア与党連合・国民戦線の中核政党統一マレー国民組織(UMNO)のナジブが首相に就任した。 | |
2010 | 9月16日 1Malaysiaキャンペーン発表。 | |
2013 | 2月11日 Lahad Datu standoff (サバ州におけるマレーシアとフィリピン間のスールー領土紛争) |
05 June 2013
マレーシアの歴史 年表
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マレーシアを代表する第一次産業ば、天然ゴム、スズ、パームオイル、原油、木材などがあげられます。イギリス植民地支配下の19世紀に、マレー半島で天然ゴムのプランテーション開発が進められました。特に20世紀初頭、イギリスの資本を基に大規模なプランテーションが数多く開発されました。プラン...
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東南アジアのムスリム人口 現在、東南アジアのムスリム(イスラム教徒)の人口は2億3362万人です。これは東南アジアの総人口の39.4%に相当します。特に島嶼部東南アジアのインドネシア、マレーシア、ブルネイでは住民の大多数がムスリムであり、イスラム教が国教的地位を占めています。...
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イギリス植民地支配:海峡植民地 16世紀初めのポルトガルのマラッカ占領は、ヨーロッパの勢力による東南アジア植民地化の起点となりました。とはいえ、ポルトガルやオランダは、もっぱら港市マラッカを交易拠点として確保することに関心を注いでいました。こうした植民地支配の形態が変化するの...
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マレーシアのスズ鉱産業は、1848年、ペラのラルートでのスズ鉱山開発が始まりです。イポーのキンタ渓谷からクアラ・ルンプールのクラン渓谷にかけての一帯はマラヤン・ティン・ベルト(Malayan Tin Belt)と呼ばれ、世界最大のスズ生産地として名を馳せま...
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日本占領期、イギリス復帰 1941年12月、太平洋戦争の勃発時は、マラヤのイギリスは完全に準備ができていませんでした。1930年代、日本の海軍力が増大する脅威を想定し、彼らはシンガポールで大きな海軍基地を建設していましたが、北からのマラヤの侵攻を予想しませんでした。極東には実...