マレーシアの外食文化の主役は屋台街(Hawker Centre)とコーヒーショップ(Kedai
Kopi)です。
屋台街はどの国にも有るので説明する必要はないと思いますが、コーヒーショップはマレーシアやシンガポールなどの限られた国でしか見られない独特の飲食施設形態です。Kedaiはマレー語で店、Kopiはコーヒーです。コーヒーショップと呼ばれていますが、喫茶店とは違い店内に色々な屋台が入っています。
何故、コーヒーショップが生まれたのか・・・資金を持った人がいました。何か商売をしようと考えた末に飲食店を経営しようと思い立ちました。しかし、彼には調理技術が有りません。そこで考え付いたのがコーヒーショップを開いて、自分はコーヒー等の飲み物を売ろう。そして、道端で細々と商売している流しの屋台を呼び込んで、店内に間借りさせようと考えました。ショップオーナー側は、屋台主からの家賃収入は入るし、味の良い屋台が間借りして客が増えれば飲み物の売り上げも上がります。一方、屋台主側も、屋根は付いているし水道もある、テーブルも椅子も用意されているとなれば、道端なんかで営業するよりずっと条件が良いです。こうして両者の利害が一致し成り立っているのがコーヒーショップと言えます。
コーヒーショップに行くと、お客はそれぞれの屋台に注文しに行かなければなりません。しかし、飲み物に関しては、コーヒーショップのオーナーか雇用者がテーブルに来て「何飲む?」とぶっきらぼうに聞いてきます。何も注文しないと文句を言われたりします。最初の頃は、あんな注文の取り方で良く商売できるものだと思いましたが、どのコーヒーショップも同じような対応で、これが普通なんだとわかりました。
ショップオーナーは、コーヒーの他にビール、フルーツジュース、お茶、アイスカチャン、たばこ、お菓子、オモチャなど手広く売っていたりします。
ジュースやフルーツの屋台
リトルインディア街の近くのアパート Kinta Heights
遠くから見ても目立ちます。
このアパートの近くにあるコーヒーショップ
牛肉スープ
ヨンタウフ(醸豆腐)スープ
チーチョンファン(豚腸粉)
客家麺
生麺
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