ルムッ Lumut はペラ州イポー市から84km、シティアワン Sitiawan から12km程度に位置する沿岸の町(人口31,880)で、パンコール島
Pangkor Island へのゲートウェイとなっています。ルムッは貝殻やサンゴの手工芸で知られています。この漁業の町は、ずっとマレーシア海軍の本拠地となっています。ルムッはマレー語で、苔、地衣類、または、海藻を意味します。その初期の年代に、ビーチには海藻が豊富にあったので、地元の人々はそれをルムッと呼びました。
ルムッの桟橋は、パンコール島を含む沖合の島への出発地点となっています。政府がパンコール島に観光開発を乗り出してから、ルムッも観光の町として開発が進みました。港町らしく沖合いに貨物船が停泊していたり、沿岸には土産物店やレストラン、ホテルが建ち並ぶ観光の町というイメージもあります。
ルムッ ウォーターフロントは、ルムッの町の北側、ルムッ国際ヨットクラブの隣に新しく造られた公園です。公園からは北側の丘やカンポンアチェAtjehやLumut港を見渡すことができます。ここからの眺めは大変に素晴らしく、時には、タンカーや貨物船だけでなく、大きな客船が航海しているのを見ることができます。
ウォーターフロントはレクリエーションパークとして設定されています。公園は多くの地元の人に人気のスポットで、休日だけでなく平日も仕事を終えた人や学校の子どもたちが来ています。公園は子供のための遊び場を持っています。日曜日には、ここでピクニックする多くの家族が見られます。
歴史
ルムッは桟橋を持っています。大規模なHock Chew community (Fuzhou:福建省の省都の福州コミュニティー)は、そこからSitiawanに移動しました。スズや木材は、遠くキンタ Kinta などから、ゾウやサンパン(小型木造の平底船)により運ばれて来ました。
造船
1993年以来、6隻の米海軍軍艦が、RM160万の費用でルムッの造船所で修理されていました。(軍艦
USS Sioux, USS Tuscaloosa, USS Fort McHenry, USS Schenectady, USS Rushmore,
USS Reid)
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