極楽洞の洞窟には、いくつかの仏教徒の肖像だけでなく、中国の神を祭る神殿の様々な神々を呼び物にした中央祭壇を備えています。見事な鍾乳石や石筍の形成に囲まれた洞窟は、仏教信者や公共のための一般的な楽しみのために平和の祈りの場所を提供します。
洞窟にはたくさんの鍾乳石が成長しています。石灰岩の山に雨水が浸み込み炭酸石灰が溶けて出来たものと考えられます。つららのように垂れ下がったものや、クラゲのような形をしたものなど色々な鍾乳石が形成されています。洞窟内は涼しい風が吹き抜け、鍾乳石を鑑賞するのに良い環境です。
鍾乳石 Wiki より引用します。
鍾乳石の誕生は、炭酸カルシウムで飽和した一滴の雫から始まる。水滴がしたたりおちるとき、まず方解石の微小な晶出/沈殿が水滴の円周に沿ってリング状に天井面にできる。後から垂れてくる水滴は前のリングの先に新たなリングを次々に沈着させ、次第にそれが伸びていく。こうしてリングから細い(0.5~0.6mm)管状のものに成長し、鍾乳管(ソーダストローあるいは単にストロー)と呼ばれる中空状の細長い鍾乳石が生まれる。
管の内部の穴が方解石の成長によってふさがれてしまったり、水量が増えてくると、水は外側を流れ始め、より沢山の方解石を沈積させるようになり、一般的なつらら状の鍾乳石の成長へと変わる。鍾乳管は長く成長することがあるが、とても脆い。1m以上の長さをもつものが稀にみられる。鍾乳管がよく発達しているのは、いわゆる密閉型の空間が大半である。石灰洞の鍾乳管の成長速度について2.5~6mm/年との研究がある。
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