イポー市の郊外に行くと水牛の群れをよく見掛けます。川辺、湖畔、池のほとりなど、家畜として飼われている水牛もいるのでしょうが、野生の水牛と思われるものもいて、何故こんなに水牛がいるのかと不思議なくらいです。水牛は主に草を食べますが、マレーシアは一年中暑く、雨もよく降るので新しい草が次から次へと生えてきます。このような自然環境が水牛にはピッタリ合っているのかもしれません。
水牛は雑草などの粗末な食べ物で成長し、肉や乳を得られ、また、牛よりも沼地での行動に適応しているため水田での労働力としても使え、経済的に非常に優れた動物といえます。アブラヤシ農園では、水牛は草を食べる除草の役割を担い、その糞尿は肥料となります。また、いざとなれば現金化できる動物でもあり家畜といえます。アブラヤシ農園が廃園後、農園で飼われていた水牛が野生化したものもいるかもしれません。
ヒンドゥー教では、牛が神聖な動物として崇拝の対象となっていますが、水牛に関してはヒンドゥーの教義上、通常の牛とは明確に区別され崇められていません。よってその肉は、非ベジタリアンには食用にも用いられ、水牛の肉は様々な分野で利用され、輸出もされています。水牛の肉は肉質が堅いのが難点であり、煮込み料理に適するようです。
水牛の乳は脂肪分が8%程度と家畜の中で最も多く、鉄分、ビタミン類、乳糖なども、一般に牛の乳よりも豊富に含まれています。分布地では多くの人々が飲用や加工用に利用しており、チーズなどの伝統的な材料となっています。
水牛の角は大きく、その形には威圧感があります。怒らせると極めて危険な動物になり、トラなどの肉食獣も成長した雄牛には襲い掛からないほどだそうです。水牛の角は印鑑、三味線の駒、櫛、和包丁の柄、置物などの角細工に使われます。
水牛は水浴びを行い、また避暑や虫除けのために泥浴びもします。写真の水牛の水浴び場は、石灰質の土壌に水牛が掘ったり、重みで凹んだと思われる窪みがあり、そこに雨水が溜まって出来ているようでした。深さは1m程度でしょうか。
セメントは石灰岩から作られているので、工事現場の水たまりのようでもあります。こげ茶色の毛の水牛は、水溜りから上がると灰色の牛に変身します。
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