マレーシアは麻薬の取り締まりに非常に厳しい国です。出入国カードには「警告 麻薬を所持する者は、マレーシアの法律によって死刑に処す」と書かれています。街のあちこちにも広報看板を見かけます。これは、マレーシアが麻薬の生産地として名高いゴールデン・トライアングル(タイ、ラオス、ミヤンマーの国境が接している地域)に地理的に近いからで、甘い顔をしていると、麻薬が陸伝いにとめどもなく流入してくる恐れがあるからです。
この処罰は、外国人旅行者ら全ての人に同様に適用されます。有名な話で、1983年ペナン空港で2人のオーストラリア人青年が、ヘロイン180グラム所持していて捕まりました。白人が捕まったのは初めてのことでした。当然死刑の判決が出ましたが、死刑制度の無いオーストラリアは、政府と国民が一体になって青年たちの助命嘆願運動を起こしました。しかし、マレーシア側は死刑判決を覆しませんでした。
すると、オーストラリアは英連邦の親分である英国のエリザベス女王に泣きつきました。そして女王からも助命嘆願が出されました。マレーシアはかつて英国植民地で、英国の権力の亡霊が強く残っており、女王から嘆願が出たとのことで判決は覆されると見られていました。ところが、マレーシアは毅然と女王の嘆願をもはねのけ、1986年、判決通り2人の青年を絞首刑に処しました。
他国の権力・圧力に屈せず、国を守るというマレーシアの姿勢は評価されます。日本の腰砕け外交とは違うようです。
麻薬とは関係ありませんが、2009年3月、日本からマレーシアに戻る時にちょっとしたハプニングがありました。それは、飛行機に搭乗する直前に起きました。以前は、機内に預け入れる荷物は搭乗手続き前にX線で検査し合格後に預ける順番でしたが、何時から変更になったのか知りませんが、今回は搭乗手続き前の荷物検査は有りませんでした。
私は預け入れ荷物の中に一点気になる物を入れていました。搭乗手続きが終わり荷物も預けて搭乗まで時間が有ったので、食事をしたり土産を買って時間を潰し、そして出国審査を済ませ搭乗口に移動しました。搭乗口には既に多くのお客さんが待っていました。あと20分で搭乗という時に、お客様のお呼び出しアナウンスが流れ始めました。私は荷物の中身が気になっていたので、直感で名前を呼ばれると感じました。そして案の定呼び出され、私だけチェックインカウンターを通され荷物の確認に立ち合わされました。
バックに南京錠を掛けていなければ、多分、検査員が勝手にバックを開けて確認したと思いますが、バックを開けられなければ呼び出されても仕方がありません。確認物は虫除けのスプレー缶です。確かにスプレー缶がバックの中に入っていたら、引火や破裂の恐れがあり缶の内容を確認されても仕方ありません。結局、市販されている虫除けスプレーということでそのままでOKとなりました。
この出来事での教訓は、機内に持ち込めない物は事前に良く調べること、また、それと間違えられそうな物は預け入れ荷物にせず自分で機内に持ち込む荷物にして、出国審査前の手荷物検査時にトレーに取り出して検査を受けるようにしたほうが良いということでした。バックに鍵をしなければという考えも出そうですが、海外では空港職員の中に荷物の中身を盗む不届き者がいるという話をしばしば聞きますので、鍵は掛けるようにしたほうが良いです。
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