ペラ州イポー市郊外のマレーカンポン Kampung Seri Rahmat 内にあるイスラム教の墓地です。Tanah
Perkuburan はマレー語で墓地という意味です。
イスラムでは、クルアーンとハディースがすべての生活規範であり、その中で唯一神アッラーによる「最後の審判」のあとに行くべき所として、天国と地獄についての記述があります。ムスリム(イスラム教徒)は「大地から生まれ、大地に帰っていく。神から生まれた魂は神の元へ帰る」ということを望みます。
死とは、人生の終着点ではなく、アッラーによる「最後の審判」を待つ状態に入ることを意味します。天国へ行くか、地獄に行くかは「最後の審判」で決められます。死者は墓から出てきて、神の前で最後の審判を受けます。各人の現生における生き方や、信仰への忠誠心や貢献度が記載された帳簿により、天国に行くか、地獄に行くか決められるのです。そして、来世はそこでの生活が永久に続くとされています。
イスラムでは、キリスト教と同様に人は死んだら土葬されます。火葬されることは完全にムスリムの意思に反するものです。死者は「最後の審判」の日に再び蘇るとされ、イスラム教徒のお墓は仮の場所と考えられているので、大変質素です。イスラム教が一神教であるということも、お墓が質素なことと関係していると言われています。
礼拝の向きを重要視するムスリムは、当然のごとくメッカを向いて眠りにつくので、墓は全て同じ向きに造られます。体の右側を下にして横たえ、顔がメッカに向くように埋葬し、頭の部分に小さな墓石などを置きます。
敬虔なムスリムにしては意外に感じますが、お墓参りという習慣は宗教上の理由で禁止されているようです。とはいえ、マレー人がお墓参りしているところを何度か実際に見たりしているので、マレーのイスラム教は、この点では異質なのかもしれません。
Kampung Seri Rahmat
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