南天洞の奥の仏殿の右奥に洞窟の頂上まで登れる登山口につながる階段があります。登山は午後4時30分までに下山しなければなりません。
非常に長く急な階段や洞窟内は電気が引かれていないので足元が見えない階段などがあり、お年寄りが頂上まで登るのは困難かなと感じます。また、真っ暗な中で、鍾乳石から水がポタッポタッと落ちる音や木の階段がギシギシ音を立てたりするので、怖がりの人も登山は無理かなと思います。
洞窟の頂上は前後に穴が開いていて、風が吹き抜けて涼しいです。洞穴からまるで鳥になったかのような気分で、イポーの景観を眺めることができます。
138段のこの急な階段を一気に上まで駆け上がるのは大変です。
手すりに掴まりながら階段をよじ登ってくる人々
階段を上った所に踊り場があり、鍾乳石を見ながら一休みできます。
途中、所々に開いている洞窟の穴から外の景色を眺めたりできます。
山頂へ通じる最後の階段に差し掛かった所で、正面に立派な鍾乳石が目に入りました。
鍾乳石の左側の階段を上って外に出ると直ぐに断崖絶壁です。
鍾乳石の右側の階段を上がると洞窟の頂上です。
洞窟の頂上は前後に穴が開いていて、風が吹きて抜け涼しいです。
洞窟頂上から眺めたイポーの風景
南天洞の岩山
所々に穴が開いていて、洞窟内を登山中に外の景色を眺められます。
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