20 August 2013

Taman D.R. Seenivasagam

Taman D.R. Seenivasagam は、ペラ州イポー市のセンターにある公園です。1950年代初期にオープンした当時は、Coronation Park として知られていたようです。Taman D.R. Seenivasagam は、地元の有名な政治家 D.R. Seenivasagam にちなんで名づけられました。Taman はマレー語で公園という意味です。

公園は、その景色の美しさとレクリエーション施設で有名です。公園内には、レクリエーションのフィールド、人造湖、鉢植えの植物の種苗場や子供の交通の遊び場を含みます。交通公園はヤシの林の中に整然と設けられています。広大な敷地の中に多品種の植物が生え、成長した巨木はこの公園の目玉になっています。遊歩道はこの大きな木の枝葉で覆われ日陰の箇所が多く、快適に散歩できます。公園の人造湖に架かる木の橋は、三つの橋が湖の中の一つの島で結ばれていてとてもユニークです。ボート乗り場が有りましたが、現在は営業されていないようです。市の中心部に有りながらとても閑静で、イポー市民の憩いの場として、また、散歩、ジョギングの場として市民に親しまれています。




























Darma Raja Seenivasagam
Darma Raja Seenivasagam は、1959以前にPerak Progressive Partyとして知られていたPeople's Progressive Party (Malaysia) (PPP)の著名なリーダーでした。彼は労働党から脱却した後、1953年に彼の兄弟、S.P. SeenivasagamとともにPPPを設立しました。彼らは両者ともマラヤにおける著名な弁護士でした。PPPの牙城はペラ州にあり、それは特に華人の有権者から多くの支持を受けました。

PPPが初めて参加した1954年の選挙において、彼は Alliance同盟(UMNO, MCA, MIC)の下、イポーとMenglembuの市会議員に選出されました。彼は1955年の連邦議会選挙で負けましたが、1956年の補欠選挙で議席を獲得しました。Seenivasagamは、マラッカの最初の知事になるTun Leong Yew Kohによって空いたイポー議席に、1957年の補欠選挙で選出されました。1959年の議会選挙では、PPPはペラ州の4つの議席全てを獲得しました。 PPPは1969年にその成功を繰り返しました。


日本庭園
日本庭園は、D.R. Seenivasagam Recreational Park 内に位置しています。この庭園は、1.2ヘクタールの面積を持ち、福岡の日本庭園のユニークな景観構造に準じて造られています。今では、日本庭園は1950年代初期にオープンした D.R. Seenivasagam Park の一部と考えられています。日本庭園は、イポー市長 Tuan Haji Ahmad Selleh Haji Sarif、前市長 Dato Haji Umar Abu、福岡市長を代表する Mr.Watanabeにより、1995年6月30日に正式にオープンしました。

1989年3月21日にイポーと福岡の間で姉妹都市として協定が締結された後に、この庭園は"Japanese Mini Garden"として知られています。この景色は、福岡市役所からのアドバイスや専門的技術支援とともに、イポー市議会の風景オフィサーにより設計されました。全体的にみれば、この日本庭園の雰囲気は人が実際に日本にいると感じさせます。

日本庭園は、イポー市と福岡市間の関係の成果として造られました。1989年3月21日に承認された協定は、これまで、日本とマレーシアの間で実現した最初の協定でした。


THE JAPANESE GARDEN
The Japanese Garden is situated at the D.R. Seenivasagam Recreational Park in Ipoh. With an area of 1.2 hectare, this garden is built according to the unique landscape structure of the Japanese garden in Fukuoka. Now, the Japanese Garden is considered as a part of the D.R. Seenivasagam Park, which was opened in the early 50's. The Japanese garden was officially opened on June 30th 1995 by the Mayor of Ipoh City, Tuan Haji Ahmad Selleh Haji Sarif together with the previous Mayor, Dato Haji Umar Abu. Meanwhile, Mr.Watanabe represented the Mayor on Fukuoka City.
This garden is known as "Japanese Mini Garden" after an accord was signed between Ipoh and Fukuoka on March 21st 1989 as a sister city. This landscape was designed by the Ipoh City Council landscape officer, with the advice and expertise assistance from Fukuoka City Hall. Overall, the ambiance in this Japanese Garden makes a person feels that he is actually in Japan.
The Japanese garden was built as a result of the relationship between Ipoh city and Fukuoka City. The agreement which was endorsed on 21st March 1989 was the first agreement ever materialized between Japan and Malaysia.

この日本庭園の名称”怡福園”は、イポーの中国語表記”怡保”と”福岡”から1文字ずつ繋げたようです。庭園の入り口には竹が植えられています。庭園内は柳や松の木が植えられ、また、様々な石灯籠で飾られていて、日本の特性を向上させています。庭園の池に架かる橋は木製で、湖の中にある小さな島と庭園を結んでいます。