23 June 2013

パームオイル産業

マレーシアを代表するゴム産業は、1955年に世界銀行から天然ゴムへの依存を減らすよう提言を受けたことがきっかけとなり、また、1960年以降に合成ゴムが用いられるようになったことから、政府の貿易政策に則りパームオイル産業へ切り替えが進められました。

アブラヤシ農園はゴム農園の経営に比べて生産性、収益性が高いという利点からも、アブラヤシ農園へ転換が進められました。世界銀行の調査団は、将来の需要が見込めるパームオイルのほうが、天然ゴムよりマレーシアの発展のためになると考えたようです。

1965年にアブラヤシの年間開発地域は天然ゴムのそれを上回り、以降、アブラヤシの耕作地は増加の一途をたどりました。アブラヤシ農園は西マレーシア(マレー半島)を中心に広がりましたが開発余地が少なくなり、1970年代から東マレーシア(ボルネオ島北西部)のサバ州とサラワク州でも開発が進みました。

1970年代半ばから天然ゴムにつぐマレーシアの重要輸出品目に急成長しました。1990年代に入ると耕地面積のトップの座はゴム農園からアブラヤシ農園に変わりました。マレーシアはずっとパームオイル生産量の世界一を守ってきましたが、2006年以降インドネシアにトップの座を奪われています。

パームオイルは世界で最も大量に生産される植物油です。アブラヤシ(オイルパームOil Palm)はマレーシア原産ではなく、1896年に西アフリカから移植されました。アブラヤシの実からはパームオイルが採れます。パームオイルが広く用いられるようになった理由は、価格が安いこと、季節に関係なく1年中収穫できること、単位面積当たりの生産性は植物油の中で最も高いこと、食用としては風味にクセが無いことなどです。

マレーシア経済に恩恵を与えているアブラヤシ農園ですが、反面、自然破壊を招いていて、ボルネオ島側の農園拡張においては熱帯雨林を破壊し、そこに棲む野生動物オランウータンやトラ、象、サイなどの生存を脅かしているそうです。経済の発展と環境保護は相反することが多く両立させることは難しいです。


イポーにあるアブラヤシ農園(LADANG PINJI)の内部の様子をご紹介します。農園入り口にはガードがなく、車で農園の中へ入りました。


メインロードは果てしなく続き、農園の規模の大きさを想像させられます。


メインロードの左右には所々サブロードがあり、アブラヤシの木々の中に車で入ることもできます。



雑草が殆ど生えてなく、ヤシの林の中を容易に歩き回れます。



自然の林とは違いしっかり管理されているようです。



除草剤を使っているのか、人手で管理しているのかよく分かりません。
 



一部の場所にはゴム農園が残っていました。事業開始時この農園はゴム農園だったようで、途中からアブラヤシ農園に転換されたようです。


1981年に第4代首相マハティールが提言したルックイースト政策が、日本・韓国の建設業界のマレーシア進出に拍車をかけることになりました。1985年にはマレーシア国産車第1号となるプロトンSAGAの生産が始まりました。国産自動車の開発は一流工業国の証明としての意味を持つだけでなく、基幹産業として工業化の牽引力となりました。

こうしてマレーシアの近代化と工業化は進み、第1次産業から第2次産業へとシフトしていきます。この産業構造の変化に伴い、特に西マレーシアでは工場や商業設備、住宅建設がアブラヤシ農園を潰して行われています。